白山写真ギャラリー

山の暗闇 2003/07/18

撮影のため人跡まれな森の奥で、一人で寝泊りすることがあります。こんな話をすると、「一人で真っ暗な中で寝て怖くないですか。」とよく訊ねられます。
私は決まって「怖くないですよ。山に怖いやつはいないですから。」と答えます。

長く白山を歩いてきて、ひどい目にも恐ろしい目にもあってきました。判断を誤れば死に直結するような状況を経験してきました。しかしその時、自然から悪意を感じたことはありません。
自然の中では、常に多くの生命が誕生し消えていき循環しています。人がその中に深く入り込めば、当然その循環に取り込まれます。(都会での人間活動も自然の一部だという見方もありますが。)
そこで人が生命を落としたとしても、それはまさに自然なことで、夏に生まれた蝶が秋の寒さで死んだり、ハエが鳥に食べられる程度の現象に過ぎないものだと思います。
そこに自然の悪意は感じられません。

西洋には山に悪魔が住んでいるといった考えがあるようですが、日本は違うと思います。
古き時代には、自然災害や天候不順で多くの人が命を落とし飢えることがあったようですが、山麓の人々は山の悪魔が悪さをしているとは思わずに、神様がお怒りになっていると考えてきたのではないでしょうか。
立山をはじめ、全国に「地獄信仰」的なものがあり、白山にも地獄を冠する地名があります。しかし、これは極楽浄土と差別化する目的で逆説的に生まれた思想で、西洋の悪魔とは趣が異なるものだと私は思います。

私は自然は神様だと思っています。神様を恐れる理由はありません。
一個の生命として、とうてい太刀打ちできない自然の力に対して恐怖を感じることはありますが、自然の暗闇に恐れなければならないものは、潜んでいないのです。

人間社会の暗闇には恐ろしいものが潜んでいることがあります。だから街ではやたらと街灯を点けたり、音楽を鳴らしたりするのでしょうか。
しかし、同じ考えで山に明かりや音を持ち込むのは間違ったことだと思います。明かりや音と一緒に、人間社会の恐ろしいものまで山にやって来そうです。もともと山の暗闇には恐ろしいものはいないのです。


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