白山写真ギャラリー

白山の開発 2001/10/16

この文章は、朝日新聞石川版のコラムを5回連続で連載した際の、オリジナル原稿です。
掲載記事 2001年9月12日 金沢アンダンテ (2)進む治山治水工事

治山治水の名の元に、堰堤工事や護岸工事が果てしなく続いています。また実は、白山は山自体が少しずつ動いていて、これを止めるために無数のボーリングがなされ、強制的に地下水を排出させられています。
これらの工事を続けていくと、最終的には白山の頂上までコンクリートで固めてしまうことになります。

ところが、この地球は太古の昔から、人の時間感覚とは比較にならないほど長時間を費やして少しずつ姿を変えてきました。
この白山もかつては3000mを超える高さがあったそうですが、今は300mばかり低くなっています。山は動いているのです。

前述の治山治水工事は、この自然の営みに真っ向から立ち向かおうとしています。一時的に効果が見られても、長い目で見たら何の意味もない事です。

白山麓に住む人たちが、自然の脅威と戦ってきまたことは、今も昔も変わりません。
ただし昔の人は、自然の力には到底かなわないと考えていました。災害から人命や財産を守りたいと考えたのは、今も昔も同じだと思いますが、昔はある意味で全てを失う覚悟があったと思います。
しかし、今は、自然を押さえこむことができると錯覚している人がいるようです。

人間の力は本当に強くなりました。最近建設されている、巨大なダムや橋、トンネルなどを見ていると、自然を自由にできると思うのも仕方ないと思いますが、やっぱりそれは不可能です。人間の力が強くなったからこそ、その力を使うときの考え方が、より一層重要になって来ていると思います。

私の個人的な見解ですが、白山麓で行われている防災工事のほとんどは、長い目で見たら何の意味もなく、ただ景観を壊し、税金を無駄使いしているだけだと思います。近年、「砂防事業が自然を守る」的なイメージアップ看板が掲げられていますが、何の根拠もないことで、やっていることは何十年も前と根本的に同じです。

今、自然の営みの中で、人間はどう生きていくかを考え直す時期に来ていると思います。

汗を流して山に登り、風に吹かれ雪に降られ、凍えてみれば、人間の思い上がりがわかります。


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